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コロナウイルスの影響でガン末期の患者と家族の生き方はどう変わる

ハートのイラスト

「これから一人でどうやって生きていったらいいの?」

 

泣きじゃくりながら訴える

私の頭を引き寄せて

 

「言うたらアカン、言うたらアカン」

頭を優しく撫でてくれるNちゃん。

血液のがん「多発性骨髄腫」

パートナーのNちゃんは約5年前に”多発性骨髄腫”という、治ることのない血液のがんの宣告を受けた。

 

私たちは当時は大阪に住んでいた。

余命が5~6年と言われたNちゃんは、高齢になった私の両親を心配して4年前に北関東に移住を決断。

 

去年は1年間という長い期間の抗がん剤治療を受けて、副作用の下痢が1日に30回以上あった。

それが終わってやっと人間らしい暮らしに戻った矢先。

整形外科の手術を2月にすることになって、私は不安で不安で嫌な予感しかなかった。

それでもNちゃんは少しでも元気に過ごしたかったのだと思う。

2~3週間で退院できる手術だったけれど、退院した日から体調が悪くなって再入院となった。

コロナウイルスの影響で病人は家族や愛する人に会えない

ちょうどそのころからコロナウイルスの恐怖に日本にも真剣さが見えてきた。

そして、病院は面会が全面禁止に。

おかしな症状が出ていたのに、自分でちゃんと伝えられていなかったのか。

面会ができていたら、私が看護師さんや主治医に伝えられたのに。

スマホで毎日ラインが来ていたのに来なくなった。

電話をしてもぼーっとした感じで缶コーヒーを2回落としたという。

「落とすっておかしい、看護師さんにちゃんとその症状を言ってね!」と念をおした。

そうこうしているうち、リハビリが必要であると3/31にリハビリ病院へ転院に。

 

急性期の病院ではないため、面会が少し緩く、一人だけなら短時間だけできた。

完全におかしい。

転院するまで歩行器で歩けていたのに、まったく歩けなくなっている。

日に日にできなくなることが増えて会話もかみ合わなくなっている。

 

多発性骨髄腫はもう積極的な治療はしないと決めていたので、Nちゃんは受診をしないと言っていた。

多発性骨髄腫の主治医は余命はまだまだ長いと言っていたけれど、受診をさせた方が良いと思い予約をしたところへ、リハビリ病院の医師から内科受診の紹介状を書いたので受診をするようにと連絡が入った。

神経症状がおかしいと、やっと動いてくれた。

 

紹介先の急性期病院(手術をした病院)の待合室で待っている間も腰痛がひどく、「横になりたい」とNちゃん。

処置室のベットに横になっていると寝てしまった。

検査結果を見た腎臓内科の医師が来て、「これ、意識障害がおきてる・・」

これまでの経過を表にして作っておいたものを渡すと、若い内科医は考えて「うちで手術してるんだから、僕が診ます。」と、そのまま入院になった。

 

内科医の説明は、多発性骨髄腫の怖い症状である「高カルシウム血症」と「腎機能障害」でかなり悪い状態であると。

骨が血液中に溶け出して、カルシウムが貯まってくると、筋肉の収縮で物を落としたり意識障害などが起きる。カルシウムが腎臓の濾過機能をじゃまして透析が必要な状況。

 

緊急入院して3日目に、主治医から説明があるからと病院から連絡が入った。

 

たくさんの管につながれているわけだが、ベットから降りようとしたり指示を守ってくれなかったり看護師さんへ暴言があるため治療に困っているとのこと!元々の性格を聞かれた。

これまで何度も入退院をしてきたが、治療をしてくれる人に対してそんな言動をしたことはなく大きな手術後でも病院から困ったと言われたことはないことを伝える。(しかし、理不尽なことには、はっきりモノをいう人である。そして抑制されることが大の苦手で、前々から「拘束」だけはしないでほしいと頼まれていた。もちろん、延命治療も一切不要。)

 

何とか会えないか頼んでみたところ、今日だけ特別に面会をして良いといわれ夕食の介助もできて、1時間半ほど話すことができた。

自宅看取りを決断する

ガン末期の痛みと高カルシウム血症による意識障害で体の置き所がないのである。

ウトウトしながら

「今すぐ連れて帰って」とNちゃん。

そんなことをしたら、すぐに死んでしまうかもしれないと説得をするが、

「仕方がない」と。

「せやないと首つって死ぬ」と。

 

年の離れたNちゃんには名古屋に息子がいる。

息子にその場で電話をした。

息子は、「いいです。望むようにしてあげてください。」と。

 

何度も思い直すように説得したが帰りたいしか言わない。

準備が何もできていないから今日連れて帰ることはできない、1日待っててと言うと、「1日だけや」と。

 

今は意識障害もあって本心なのかがわからない。

1日待っててと言ったのにウソは付けない。

今のNちゃんの気持ちを教えてと言うと、

 

「おやじやおふくろの世話を最期までしたかったのに、残念。悪かったと言っておいて。」

 

こんな時に私の両親のことを。

もう、決めるしかない。

最期に良い医師と出会えた

翌日は仕事を休み、朝から退院のために電動ベットや車いす、往診医の手配、いろいろなところへの連絡調整をして、病院へ「退院させたい」と連絡を入れた。

病院としては、家族が説得をして静かに治療ができるようになったと思っている。

内科医のF先生から折り返しの電話があり、

・本当にそれで良いのか?

・治療を拒否して退院と言うことになってしまうため、いざという時に受け入れができない可能性がでてきてしまう。

というような説明を受けた。

 

途方に暮れていた時に先生の適切な判断と早い治療に感謝していること、しかし、病院に戻ることはないので大丈夫であることを伝えた。

 

4/10(金)13:30に迎えに行った時のNちゃんの第一声が

「遅いわ」

 

3日間であるが治療の効果で筋肉の収縮は消えていた。

家に帰ってNちゃんからF先生のことを聞いた。

・話を聞いてくれて、ほしい薬を一生懸命探して出してくれた良い先生だった。

・自分の気持ちをちゃんと伝えたら、先生も泣いていた。

 

「せやけど、どんな名医でも、病院はもういらん。レノンと残りの日々を楽しく暮らしたい。」

 

痛みと麻薬

いつかは来ると思っていたけれど、こんなに早く突然だなんて思っていなかった。

年が離れていることもあって、思い切り甘え切っていた。

検査をするように言っても聞いてくれなくて、発見が遅くなったときに腹が立って当たってしまったこと、どうしてもっと優しくしなかったんだろう、後悔ばかりで時間を戻したくて。

 

翌日の4/11(土)に、「わかっているうちに会いたい」と、名古屋からNちゃんの息子が自動車で来た。

 

別れ際、Nちゃんが息子に

「何かあったら、レノンを頼むな!」

「レノンを頼むな!!」

 

 

痛みがひどいのに私の心配。

 

 

嗚咽で言葉がでない。

 

 

 

その翌日の朝、

「もうしんどい、楽にしてほしい。」とNちゃん。

緩和ケア病棟の提案をしてみるが、首を振る。

コロナウイルスの影響で、緩和ケア病棟でも面会ができないのである。

痛みをコントロールしてもらっても、たった一人で亡くなるなんてこと!

 

往診医に強い痛み止め(麻薬)を処方してもらう。

 

こんなに頼り切っていたのに

これからどうやって生きていったらいいの

 

ブログを続けられるだろうか

毎日、毎日、泣きながらNちゃんのお世話をしている。

最初は仕事を半日くらいで帰らせてもらおうと思っていたけれど、痛みがひどく一時も離れられない状態のため休ませてもらっている。

毎日、胸が重苦しくてザワザワザワザワ・・

気分転換をした方が良いと、妹が来てくれて買い物に出かけたけれど何も考えられない、何を買っていいのか分からない。

Nちゃんの好きなものばかりに目が行き、でももう食べられない、何も買えない。

 

もともとブログに自分のことはあまり書くつもりはなかった。

そんな時に、フミコフミオさんのプレジデントオンラインでの記事「ブログで人生を変えるために必要なたった一つのルール」という記事が目に入った。

このままでは自分がおかしくなってしまうと感じていた私は、”自分のことを書いてみよう”と思い始めることができた。

 

Nちゃんは今、意識がほとんどない状態です。

今度はいつ更新できるかわからないけれど、

自分を保つために、また書けたらと思っています。

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